大判例

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神戸地方裁判所 昭和49年(ワ)865号 判決 1982年5月06日

原告

高垣斉

右法定代理人親権者父

高垣郁

同母

高垣紀三子

原告

高垣郁

原告

高垣紀三子

右原告三名訴訟代理人

小牧英夫

原田豊

小野正章

山内康雄

宮後恵喜

右訴訟復代理人

大音師建三

被告

医療法人パルモア病院

右代表者理事

樋口伴治

右訴訟代理人

米田泰邦

主文

原告らの各請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告高垣斉に対し金二〇〇〇万円、原告高垣郁に対し金一〇五〇万円、原告高垣紀三子に対し金二五〇万円、並びに、原告高垣斉、同高垣紀三子に対する右各金員に対し、及び原告高垣郁に対する右金員の内金七五〇万円について、いずれも昭和四九年九月二五日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言<以下、省略>

理由

第一原告斉の出生から失明までの経緯等

一  原告斉は昭和四六年五月二五日に出生した未熟児であつて、その出生場所、在胎週数、生下時体重、被告病院に入院した経緯、同年七月一五日保育器から出されてベッドに移されたこと、被告病院の三宅潤医師が同月三〇日ころ電話で原告紀三子に対し同年八月四日に中央病院において原告斉の眼底検査を受けるよう指示したこと、原告斉が、同日右病院において水田医師及び井出助教授による眼底検査を受けたこと、その際こども病院で受診するよう指示を受けたこと、同月六日原告紀三子に連れられて右病院で受診したこと、その時点で本症が相当進行していたこと、原告斉が、同月九日被告病院からこども病院に転医したこと、同月一〇日同病院の山本節及び田渕昭雄両医師により光凝固術を受けたが、視力に重大な障害を残したことは、いずれも当事者間に争いがない。

二右争いのない事実に、<証拠>を総合すれば、次の1ないし4の各事実が認められる。

1  原告斉は、分娩予定日が昭和四六年(以下いずれも同年のこと)八月一四日であつたが、それより以前の五月二五日午前四時二九分、神戸市東灘区甲南町四丁目一番二五号所在の坪内助産院で、在胎二八週と三日、生下時体重一三八〇グラムの未熟児として生まれた。

同原告の父原告郁及び母原告紀三子は、助産婦坪内カツの紹介によつて、直ちに原告斉を被告病院に入院させることとし、被告に対してその養育管理を委託した。

被告は、これを承諾し、その経営にかかる被告病院(診療科目は小児科・産科・婦人科)において、同日午前六時一五分保育器による保育を開始した。

2  原告斉の全身状態の変化

被告は、原告斉の入院期間中、毎日、その体重・呼吸数・脈膊・体温を計測し、チアノーゼの有無や呼吸状態等の全身状態を観察し、諸検査を行い、これらを詳細に記録している。

(一) 体重及び栄養等

体重は、五月二五日入院時一二九五グラム、六月四日一〇七五グラム、七月七日二〇〇五グラム、同月二三日二五〇〇グラム、八月五日三〇〇〇グラムである。

栄養は、五月二八日午後一時から鼻腔注入によつて与えられ、七月一五日午後零時以後哺乳ビンによる授乳に切り替えられた。また同日保育器からベッドに移された。

(二) チアノーゼ

五月二五日、口周囲や四肢末端などにチアノーゼがみられ、口周囲のものは六月一八日までみられる。その後しばらくみられなくなるが、七月一八日から八月四日まで再度チアノーゼがみられる。

また、六月一六日、呼吸の一時停止期において、全身の皮膚に軽度のチアノーゼがみられた。

(三) 呼吸状態

五月二五日から七月一六日まで、ほとんど毎日不規則呼吸がみられ、五月二八日、二九日、六月二日、五日、一二日、一六日には、いずれも無呼吸発作が観察されている。

しかし、六月二三日には、以前よりも呼吸が規則的になつたことが認められている。

(四) 動脈血酸素分圧

五月二六日午後二時三〇分が66.9ミリ、同月二八日午後三時三〇分が44.5ミリである。

3  酸素管理

五月二五日から毎分二リットル、同月二六日午前一一時から毎分1.5リットル、同月二七日午後四時三〇分から毎分一リットル、同月三一日午前一一時三〇分から毎分0.5リットル、六月五日午前一〇時三〇分から毎分0.4リットルの酸素を投与し、同月二一日午前九時三〇分投与を打切る。

この間の酸素濃度は、五月三〇日までが三〇パーセント、六月一日までが二五パーセント、同月四日までが二〇パーセント、同月一一日までが再び二五パーセント、それ以降が二〇パーセントである。

4  眼底検査と光凝固

被告病院には眼科の専門医がいないため、同病院院長三宅廉医師の依頼によつて、昭和四六年六月から中央病院眼科医長の水田医師が定期的に被告病院に来て眼底検査を行つていた。その結果は次のとおりである。

① 六月五日 視神経乳頭及びその周囲の血管、網膜には著変なし。

② 同月一七日 特に異常は発見されていない。

③ 七月一日 視神経乳頭や血管に著変ないが、未熟眼底であることが観察される。

④ 同月一五日 強度の血管怒張と蛇行が観察される

⑤ 同月三〇日 網膜周辺部を観察するため、それまで用いていた直像鏡を倒像鏡にかえて検査を行う。血管怒張が高度に観察され、本症の後記オーエンスの分類による活動期のⅠ期との診断がなされ、その症状の進行することが懸念された。そこで、さらに詳しく検査を受ける必要があると判断されたため、被告病院の三宅潤医師から同日電話で原告紀三子に対し、八月四日に中央病院で検査を受けるよう指示がなされた。

⑥ 八月四日 中央病院における水田医師と神戸大学医学部の井出助教授による眼底検査の結果、境界が鮮明で、血管が強度に拡張し、耳側周辺の網膜に部分的な剥離のあることが疑われ、本症がオーエンス活動期のⅡ期まで進行したものと診断され、さらに進行することが懸念された。

そこで、水田医師の紹介により、被告病院の近くで当時すでに光凝固の装置を備えていた神戸大学医学部の出身で、本症の観察経験の豊富なこども病院の山本医師の検査を受けることになつた。

⑦ 八月六日 山本節、田渕昭雄両医師による検査の結果、両眼とも著明な網膜剥離がみられ、本症のオーエンス活動期のⅣ期であるとの診断がなされた。

同月九日 午前一一時被告病院からこども病院へ転医し、未熟児室に収容される。

⑧ 同月一〇日 神戸大学医学部付属病院で右山本、田渕両医師により両眼に光凝固術が施行される。

右手術後本症の活動性は漸次消失し、同月二六日退院する。一一月一八日には本症の後記オーエンスの分類による瘢痕期に入つたことが観察されている。

原告斉は、両眼とも失明し、視力・視野とも測定不能であるが、左眼には光覚がある。

以上の事実が認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

右事実によれば、原告斉は、本症により両眼とも失明したことが明らかである。

第二未熟児網膜症<省略>

第三被告の責任

一医師の注意義務

医師は、人の生命身体の健康管理を目的とする医療行為に従事するものであるから、患者の診療に際しては、その当時の一般的医療水準である専門的医学知識に基づいてその病状を把握し、治療を尽すべき注意義務を負担しているものであり、右注意義務を尽して診療行為を行うことが医療契約の債務内容である。

二本件当時の一般的医療水準

そこで、まず、被告の注意義務違反の前提となる。原告斉出生当時(昭和四五年から同四六年六月ころ)の本症に関する一般的医療水準を検討する。

<中略>

右認定の事実によれば、本件当時、本症の治療法として光凝固が効果的であり、その施行のためには定期的眼底検査が必要であることが発表され、ごく限られた一部の大病院及び研究者らによつて光凝固が施行され、その報告がなされていたことが明らかであるが、未だ、光凝固の治療法が臨床医学の一般水準的知識となつて一般の病院及び臨床医の間に普及していたものではなく、また、眼底検査や光凝固を実施しうるごく限られた一部の大病院及び研究者らと一般の病院及び臨床医との間の連絡や転医の態勢も十分に整つてはいなかつたことが明らかである。

三被告の過失

前第一「原告斉の出生から失明までの経緯等」記載の事実(以下「本件診療経緯」という)を、前第二において認定した本症に関する現時点での知見及び前項で認定した本件当時の知見に照らし、原告ら主張の注意義務違反について検討する。

1  全身管理・酸素管理上の義務

(一) 被告は、本件診療経緯のとおり、原告斉の全身状態について、入院期間中毎日詳細に観察を続け、チアノーゼの有無や呼吸の状態に注意を払い、観察を行つたものであるから、この点において注意義務の違反はない。

(二) そして、被告は、右の全身状態の観察のもとに、原告斉に対する酸素投与を管理し、昭和四六年六月一九日に口周囲のチアノーゼが一旦消失したので、同月二一日酸素投与を打切つたものであつて、その投与を打切つた時期は遅きに失するものではなく、適切である。

また、被告は、当時技術上困難視され、未だ一般化していなかつた動脈血酸素分圧の測定も二度にわたつて行い、当時一応の安全値とされていた一五〇ないし一六〇ミリ以下であることを確認している。

さらに、被告は、酸素濃度についても、当時一応の安全値とされていた四〇パーセントの範囲内である三〇パーセント以下におさえ、全身状態をみて、徐々に酸素を減量していつたものであり、被告は酸素投与についての当時の医療水準である一般的な知見を忠実に遵守して履行したものというべきであり、右いずれの点においても被告に過失はない。

2  定期的眼底検査・治療・転医等の義務

(一) 被告は、中央病院眼科医長の水田医師の来診を求め、同医師が、原告斉の生後一一日目である昭和四六年六月五日から翌月三〇日までの間、ほぼ二週間の間隔で眼底検査を行い、同日本症が進行する可能性が疑われたため、同年八月四日にも中央病院において眼底検査を受けさせたものであり、右検査の時期及び間隔は当時の一般的な知見に適合している。

(二) 本件診療経緯によれば、同年七月一日の眼底検査では、著変はないが未熟眼底であることが観察され、同月一五日には、「強度の血管怒張と蛇行」が観察され、同月三〇日には、倒像鏡を用いた検査により、「高度の血管怒張」が観察され、翌月四日には、「境界線が鮮明で、血管が強度に拡張し、耳側周辺の網膜に部分的な剥離の疑い」が観察され、同月六日には、「両眼とも著明な網膜剥離」が観察されている。

右の七月一五日及び同月三〇日の各所見は、前掲オーエンスの分類法及び<証拠>を総合すれば、活動期のⅠ期に該当するものと認められる。

右の八月四日の所見については、前認定のとおり、水田医師及び井出助教授は、当時、活動期のⅡ期であると診断している。同分類法及び<証拠>を総合すれば、右所見中の「剥離」の存在が明らかに観察されたのであればⅢ期であると断定してよいか、単なる浮腫が剥離と観察される場合もあることが明らかである。そして、右の所見も「剥離の疑い」が観察されたに留まるものであるから、Ⅲ期と断定するのは相当ではなく、むしろ右各証言を総合すればⅡ期に該当するものと認められる。

右の八月六日の所見は、同分類法及び<証拠>を総合すればⅣ期に該当するものと認められる。

本件当時、一部の研究者らによつて、光凝固はオーエンスの活動期のⅡ期からⅢ期に移行した時点で施行すべきものと報告されていたのであるから、水田医師がオーエンス活動期のⅡ期であることを観察した八月四日の時点において、本症の治療法である光凝固の技術も有していたこども病院の山本節医師を紹介して、その診察及び治療を受けさせた措置は妥当であつたといえる。また<証拠>によれば、右八月四日の措置は、水田医師が原告斉を中央病院の患者としてしたものであり、被告がしたものでないことが明らかであるから、この点からみても、右八月四日の措置をとらえて、被告にその責を問うことは許されない。

(三) 原告らは、被告は適宜原告斉の保護者に対し、本症発生の有無、進行程度、治療方法等を説明し、さらに自己の病院で診療することが適切でない場合には適当な医療機関へ転医するよう指導する義務がある旨主張するが、昭和四六年七月三〇日ころ被告病院の三宅潤医師が原告紀三子に対して同年八月四日に中央病院において原告斉の眼底検査を受けるよう指示したことは当事者間に争いがなく、<証拠>によると、水田医師は八月四日中央病院で井出助教授とともに原告斉の眼底検査をした後原告斉の保護者に対し、原告斉が本症に罹患しており、その症状が自然治癒の見込みはなく今後進行する虞れがあるので、原告斉を、本症について専門的知識をもつているこども病院の山本医師を紹介し、同病院に転医するよう指導したこと、もつとも本症に有効な治療法として光凝固法がある事実については、これを原告斉の保護者に対して説明し右光凝固法の治療を受けるよう指導した事実はないことが認められるところ(原告郁本人尋問の結果のうち右認定に反する部分は措信できない)、光凝固法は前記のとおり当時未だ臨床医学の一般水準的知識にまでなつていなかつたうえ、水田医師は右のとおり前記眼底検査による診断後こども病院に転医するよう指導したのであるから、被告に原告ら主張のような説明指導義務の違背があるものということはできない。なお、右八月四日の説明指導は前認定のとおり中央病院の水田医師によるものであり、被告の行つたものではない。

また、本症に対する薬物療法は今日において否定説が大多数であり、この点に関する原告らの主張も失当である。

(四) なお、原告斉の在胎週数、生下時体重、眼底検査の経過等からみれば、本件は、激症型(Ⅱ型)である疑いが極めて濃厚であると認められるところ、激症型の症例が報告され始めたのは昭和四六年ころ以降であるから、被告がこれに対して必要な配慮を払い適切な措置をとることができなかつたとしてもやむをえないところである。また、今日においては、Ⅱ型に対する光凝固の効果を疑問視する説やⅠ型に対してさえ光凝固の必要を疑う説が現われており、被告の行つた診断や措置をもつて、明らかに誤りがあるということはできず、むしろ被告は、当時の一般的な知見をもつて本症に関して十分な注意を払つていたにもかかわらず不幸にして原告斉の失明を防止することができなかつたものといわざるをえない。<以下、省略>

(西内辰樹 清田賢 上原健嗣)

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